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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)8107号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

2(一) によれば、訴外会社は昭和一六年に設立され、度量衡器の製造販売を主たる営業目的としてきた会社であり、訴外俊雄は昭和二一年以来一貫してその代表取締役の地位にあること、その後、訴外会社は生コン製造用バッチャープラント・公害防止処理設備等を製造販売するようになり、特に前者についてはその市場占拠率は約三〇パーセントにも達していたこと、破産申立のころまで月商五億円位の売上げがあり、更にこれを伸ばさなければならないという課題は抱えていたものの、経営はほぼ順調に推移しており、手形等の不渡りを出したようなことは一度もなかつたこと、昭和五四年二月には資本金を五〇〇〇万円に増資し、その資産としても銀行預金・受取手形・売掛金・商品等の流動資産及び工場の土地・建物・設備機械等の固定資産が相当あつたこと、主要取引銀行は三和・三菱・住友・東京都民銀行等であり、これらの銀行に対する負債は常時相当多額にのぼつていたけれども、見返りに差し入れてある商業手形が順当に決済されることによつて資金回転に特に支障はなく、破産申立の時点においても、差し迫つた資金繰りの困難とか不渡りを出すような事態とかはなかつたことが認められる。そして、それにも拘らず破産申立をするに至つたのは、主としてつぎのような事情によるものであつたことが認められる。

即ち、昭和四六年に至り訴外会社の従業員の間に労働組合が結成され、以後ストライキその他の闘争手段が繰り返されることによつて、訴外会社は次第に譲歩を余儀なくされるようになり、その結果労賃コストが高くなり、また稼働率も低下していつたため、同業他社との競争力が弱まつてきたこと、そのような中で訴外俊雄をはじめとする訴外会社の経営首脳陣が将来にわたる経営についての意欲と自信を喪失し、昭和五五年五月二八日全国の管理職を東京に呼び集めて長時間に及ぶ議論をした末、遂に翌二九日破産申立に至つたものである。

(二) <証拠>によれば、訴外ニッコウ商事は昭和四七年にセメント及び生コンクリートの販売等を主たる営業目的として設立された、訴外会社の系列会社と目される会社(その代表取締役社長は訴外俊雄の長男である訴外荒木秀仁)であること、被告とは同年一一月から取引関係が生じ、昭和五四年五月ころまでは円滑に推移したが、同年六月に訴外ニッコウ商事から被告に対し、訴外ニッコウ商事の取引先である訴外稲取生コン株式会社が資金繰りに窮したところから訴外ニッコウ商事の被告に対する支払を猶予してもらいたい旨の願いがなされ、更に同年一二月二〇日、訴外ニッコウ商事や被告の援助の甲斐もなく遂に右訴外稲取生コン株式会社が倒産したためにその関係で本件契約が締結されなければならなかつたなど多少の翳りは生じたものの、訴外ニッコウ商事の経営自体について特に心配されるような要素はなかつたことが認められる。

なお、訴外ニッコウ商事は昭和五五年六月二三日東京手形交換所から銀行取引停止処分を受け、事実上倒産したことは当事者間に争いがないけれども、これは親会社である訴外会社が破産宣告を受けた後であるから、その影響によるものと考えるのが相当である。

3 右にみたところを総合すれば、本件契約が締結された昭和五五年三月一日当時においては、訴外会社及び訴外ニッコウ商事はともに一応順調な企業活動をなしていたのであつて、その経営が危殆に瀕していたというようなことはないから、その経営者である訴外俊雄の信用力は相当大きなものであつただろうということが推認されるのである。

そうであれば、訴外俊雄のなした本件契約が詐害性を有するものとは直ちに断じ難いのである。

そうすると、本件契約の締結が債権者である原告を害することについて訴外俊雄にその認識があつたものとすることのできないこともまた当然の事理である。

(西理)

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